積み重ねて、罪重ねて。

人生における積み重ねって、徒労に終わることが多い。おそらくこれは私に限ったことである。

そう!意味ないの全然。努力なんてクソ。優しさなんてさらにクソ。

真面目に考えてもみろよ。いくら勉強したって、いくら運動したって、人のために努力したって、果たしてそれが幸せに結びつくのか。

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勉強や運動、仕事に対しての努力に関しては、自分にとっての100%努力が他者からして50%なら、その時点で努力に見合わない成果しか得られない。

優しさに関しては、自分が100%の優しさを提供しても、相手が50%しか受け取れないのであれば溢れ出た50%は無駄になる。

努力を苦痛と思わなければいい。それは一つの正解だろうし、苦痛に耐えた者が結果を掴むというのもわかる。でも、苦痛に耐えて結果を得られなかった者はどうなる?努力不足と切り捨てられるのか。辛い状況の中他者に優しさを分け与え、周囲に気を遣って心を病んでしまっても自己責任なのか?その程度で終わらせるのか。救いはないのか。そうして見捨てられてきた人間は、努力や優しさを美徳とする人間が生み出した罪の積み重ねになってしまうだろうよ。

結局この悲しみ苦しみは、他者との関係、つまりは社会の中で生み出されるものである。

他者と関わらなければ、無駄な努力も無駄な優しさも必要もない。

やはりお金が全てだ。他者の積み重ねをお金の力で凌駕できる。

しかーし、お金を貯めること自体も積み重ねになってしまう。

積み重ねに意味を見出せぬまま、積み重ねるしかない人生であった。

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